雲南省の農克硝洞遺跡、中国・東南アジア人類移動の謎を解明
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【4月14日 Xinhua News】約4万年前の地球は最後の氷河期(最終氷期)にあり、氷河が大地の広範囲を覆い、当時の人類にとってカルスト地形の岩陰や洞窟が格好の居住地となっていた。この時期、古代人の一群が高山や谷を越え、瀾滄江沿いの現在の中国雲南省臨滄市一体に定住し、先史時代文化の一つであるホアビン文化を形成した。子孫たちはその後、東南アジアへ移動を続け、中国の先史文化の伝播を後押しした。
ホアビン文化は、東南アジア大陸部および周辺地域の後期更新世末期から完新世中期(約4万5千年前~4千年前)の代表的な石器文化で、熱帯雨林の環境に適応した現生人類が生み出した特色ある文化とされる。雲南省臨滄市滄源県にある農克硝洞(のうかつしょうどう)遺跡は、ホアビン文化を代表する遺跡であり、中国南西部辺境地域の先史時代の様子を人々に伝えている。
同文化は1920年代にフランスの考古学者コラーニがベトナム北部ホアビン省で初めて発見したことからその名が付いた。その後の1世紀近くにわたり、東南アジアさらには世界の先史時代における人類の移動と文化交流の研究で中心をなすテーマの一つとなったが、中国南西部は関連遺跡・遺物の発見がなかったことから、同文化の研究対象に含まれていなかった。
この状況を変えたのが、農克硝洞遺跡の発見と一連の研究成果だった。
遺跡は雲南省文物考古研究所の吉学平(きち・がくへい)元研究員とその研究チームが2015年に発見。中国国内初のホアビン文化遺跡であり、同文化のアジア最古の遺跡であると確認された。遺跡の発見により、中国南西部の後期旧石器時代の遺跡に世界の学術界の注目が集まり、ホアビン文化の起源や伝播に関する議論も活発になった。
遺跡で見つかった石器製品は主に河床礫(かしょうれき)から作られたスクレイパーや片刃礫器(チョッパー)、インドネシア・スマトラ島で多く出土している斧形石器「スマトラリス」、短斧、研磨器などで、吉氏によると、メコン川流域諸国のホアビン文化に類似していたため試料を測定したところ、2万4千年前~4万3500年前のものだと判明。東南アジアの遺跡と比較でも同類の文化遺跡に属することが分かり、ホアビン文化の起源であると確認された。
ホアビン文化研究の権威として知られるフランスの学者は、農克硝洞遺跡の発見は同文化の100年にわたる研究で最大の突破口の一つであり、文化の起源が中国の瀾滄江(らんそうこう、メコン川上流)流域にあることを示していると指摘。中国にホアビン文化が存在したことの証であるだけでなく、同文化のアジア最古の遺跡でもあるとし、旧石器時代以降の中国と東南アジアの人の移動と文化交流を研究する上で画期的な学術的意義を持つとの見方を示した。
同遺跡ではここ数年、学際的な考古学共同研究チームが3回の発掘調査を実施しており、厚さ8メートル以上の文化層から人の歯や骨環(骨製の装飾品)、穴の開いたサルの歯、石製品など遺物5千点余りが相次ぎ出土。調査が進むにつれ、国内外の学術界から大きな注目を集めるようになった。
臨滄市文物管理所の邱開衛(きゅう・かいえい)研究員は「市内では農克硝洞遺跡をはじめ、ホアビン文化遺跡に関する手がかりが複数見つかっており、人々が臨滄で早くから比較的安定した集団と文化的な集落を形成していたことを示している」と語った。
研究により、臨滄は中華文化が東南アジア大陸へと広がる上での重要な中継拠点であり、東南アジアの人類集団にとっても主要な拡散の中心地の一つであったことが明らかになった。
吉氏は、農克硝洞遺跡の発見を糸口に、地下に眠る数々の謎が学際的な国際共同研究によって徐々に解明されていくことに期待を寄せた。(c)Xinhua News/AFPBB News